専業主婦からセラピストへ

皆様、はじめまして。

このHPにお越し頂きありがとうございます。

ママのハッピーを広げるサロン♡レアレア オーナー しぶや ゆきです。

【資格】

・日本催眠コーチング協会認定ヒプノセラピスト
・管理栄養士
・キッズキッチン協会認定インストラクター
・中学高等学校家庭科教諭一種免許

 専業主婦の私がセラピストになるまで

かつて、育児不安ストレスを抱え、
どこへ行っても対人関係のストレスや
トラブルが絶えなかった専業主婦の私が、
どうやって、そのストレス、トラブルの
原因に気づき、手放していったのか。

そして、
その後ママが幸せな子育ての時間を手に入れ、
さらに、
自分自身の幸せな人生を生きていかれるお手伝いをする
セラピストになるまでのお話しをさせて頂きますね。

結婚前は、管理栄養士として病院や老人ホームの給食管理の仕事をしておりました。

若い私は、その行く先々で様々な対人関係のストレスやトラブルを経験しました。

心の奥底(潜在意識)の仕組みを知った今、
そのトラブルの原因のほとんどは、
自分の心の奥底にあった様々な思い込みが引き起こしていたことがわかりますが、

当時は

「周りの人間関係に恵まれない私はなんて不幸なんだ」

と、全ての原因を周りのせいにして過ごしていました。

そしてその生きにくさは、
子育てが始まると、育児不安やストレス、
我が子への怒りの衝動へと姿を
変えて私を苦しめる事になっていきました。

今なら、自分の心の奥底の気持ちをきちんと
整える事で解決できる事ばかりだったことが
わかりますが、
当時は心の奥底の気持ちを整える方法が
あるなんて思いもよらないことでした。

様々な生きにくさやトラブルの原因となった心の奥底にある思い込み。

その思い込みの多くを作り上げたのは、私が幼少期の頃でした。

「良い子」になろうとしていた幼少期

2人姉妹の長女として生まれた私は、
子どもの頃はいわゆる優等生
と言われるタイプだったと思います。

母は教育やしつけに割と厳しいタイプだったと思います。

そして、
子どもの頃はほとんど毎日母に怒られたり、
小言を言われたりしていました。

今思い返すと、
物心ついたときには私の中には、

『お母さん=良い子にしないと怒る人』

という思い込みができあがっていました。

物心ついたときには、
母に怒られないように、母が望むように
いつもそう思って過ごしていたように思います。

母が認める「良い子」でいたい。

良い子っていったら、
親や先生が言うことをしっかり聞いて守る子だな。

と幼少期の私は当たり前に思っていて、

いつもいつも

「どうすればお母さんに怒られないか。

そんなことを心の片隅に置いていました。

もちろん、子どもらしい時間もたくさんあったのです。

でも、何かを選ぶという場面では、いつも

「どうしたら、お母さんに怒られないか」

お母さんに怒られない=良い子

いつもそれが私の選択の判断基準でした。

そして、私の中には

「怒られないようにいつも正しい選択をしなければいけない」

という思い込みが形成されていきました。

そして、私の母は、怒りをストレートに子どもにぶつけるタイプの人でした。

母が怒った時には、竹製の長い物差しをもった母の前に正座させられました。

その物差しが私のお尻や背中や太ももを打った時の恐怖や痛み。

打たれたところが物差しの3センチ幅で腫れあがって、悲しくて、情けなくて・・・。

でも、家の中以外どこにも逃げる事が出来ない絶望感は今でも覚えています。

「言う事聞けない子は、出ていきなさい。」

冬の寒い夜、裸足で玄関の外に放り出されたこと。

家の中に逃げ場がなくても、家の外にも私が行けるところなんてどこにもない。

いつもいつも居場所がない感じがしていたわけではありませんが、
子どもの私はいつ母の機嫌を損ねてしまうかわからない不安感と、
母の機嫌を損ねたら、私は居場所がなくなってしまう
という恐怖をいつも感じていました。

『私がそのままで、いつも心から安心していられる場所なんてどこにもない。』

そして、

『私は素のままでは受け入れられない存在だ。
だから、頑張って、頑張って、頑張り続けないといけない。』

子どもの頃から、かなり最近まで、私はそう思っていました。

そして、
そんな私の中の、頑張って頑張って頑張らないと存在価値が無い
という思い込み(価値観)は自分だけでなく、
周りにもその価値観を押し付けるような
生き方になっていたのだと思います。

そんなガチガチの価値観で社会に出た私がどうなったか。

社会に出て悩み続けた人間関係

冒頭に書いた通り、

行く先々で人間関係のトラブルや
ストレスで悩まされることになりました。

そして、そのままの価値観を持ったまま、結婚、出産を経て、初めての育児に突入していきました。

子供が生まれた時、私は自分に誓ったことがありました。

「私は絶対にお母さん(私の実母)みたいにはならない。
子どもに厳しいことを言わない。
手を上げたり、怒鳴りつけたりしない。
絶対に優しいお母さんになるんだ!」

「あんな母親にはならない。」

と決意していた私。

でも、私は「あんな母親にはならない!」と思った実母の子育てしか知りません。

どんな子育てが、正解なのか?

どうすれば「優しいお母さん」として子育てできるのか?

子供が生まれてからの私の子育ては、様々な育児書や子育ての専門家の様々な育児理論、子育て法を勉強して、それを試してみるということの繰り返しでした。

子育ての正解を求めて、理想の優しいお母さんになりたくて、

良いと言われる子育て法はどんどん試しました。

絵本を読んで、外遊びをさせて、たくさん話しかけて、TVはなるべく見せないように。

ブロック遊びがいい、この知育玩具がいい。

厳しくするところはちゃんとしつける。いやいや甘えさせて育てた方がいいんだ。

世にたくさんある子育て法や子育て理論。

あれがいい、これがいいといろいろ取り組みましたが、

「これだ!」

という確信が持てるものに出会えずにいつも漠然と不安を抱えていました。

そんな不安を抱えながらの子育て。

そして子どもの成長に伴い、私は私の中にある抑えられない衝動に気がついていきました。

優しいお母さんになろうとするほど

「私は絶対にお母さん(私の実母)みたいにはならない。」
「子どもに厳しいことを言わない。」
「手を上げたり、怒鳴りつけたりしない、絶対に優しいお母さんになるんだ!」
『「優しいお母さん」でありたい』

それはもう、切望という表現が近いほどに、
私は『優しいお母さん』でありたいと切実に願っていました。

でも、私が

「『優しいお母さん』でありたい」

と願えば願うほど、
私はある衝動を抑えられなくなっていきました。

「自由奔放にしている我が子を怒鳴りつけたい。
手を上げてしまいたい。」

私の中に芽生えたこの衝動。

あんなに、ああはなりたくない。
と思っていた母の姿がその衝動に重なります。

自由奔放な我が子を前に、
その衝動を抑えるのにこぶしを握り締めて、
歯を食いしばって耐える毎日でした。

普段何とか衝動を抑えている私が
どうしても衝動を抑えられなくなる時がありました。

夫がいる週末にはどうしても衝動を抑えられず、
衝動を爆発させてしましまいます。

止めてくれる人がいる安心感からでしょう。

普段は、意識のほとんどを占める心の奥底(潜在意識)の衝動を
たった数パーセントの理性の部分で抑えていたのです。

衝動が一度爆発したら、
自分では止める自信がないから。

何とか数%の理性で衝動を押さえつけていました。

でも、止めてくれる夫がいると思うと
どうしても衝動が抑えられなくなってしまうのです。

衝動に耐えきれずに我が子を怒鳴りつけ、
手を上げる私の姿が、
幼いころに恐怖とともに見ていた母の姿と重なります。

こんなこと望んでることじゃない。
どうしたらこの衝動を抑えることができるんだろう。

罪悪感でいっぱいになっていました。

「もうやめてくれ!!」

夫が言う声を聞きながら、
私自身が自分の姿に絶望していました。

あんな(子どもを怒鳴り、手をあげるような)母親になりたくない。
と思えば思うほど、私は心底なりたくないと思っていた
あんな(子どもを怒鳴り、手をあげるような)母親になっていきました。

その事実に心底嫌気がさし、
絶望していました。

でも、どうしたら、この衝動を抑えたり、
無くすことができるのかわからず、

子どもが大きくなるまであと十数年、
この衝動と戦う子育てが続くのかと思うと

とても重い気持ちになりました。

そしてその頃には、
自分がアダルトチルドレン⦅幼少期の対人関係(主に親と)の
やり取りにより作り上げられた思い込みにより成人後も生きにくさや不安を抱えた状態⦆であることをやっと自覚しました。

でも、この状態に解決の手立てなんてなくて、
私はただこの衝動に耐えながら子育ての時間を
やり過ごしていくしかないんだと思っていました。

そんな状態の中、さらに私を絶望のどん底に突き落とすような出来事が起こりました。

息子の不登校

息子が小学2年生で不登校になったのです。

「子供は学校に行くのが当たり前」

と疑いなく思っていた私は、
我が子が学校に行かないという現実にパニックになりました。

「なんで!?どうして!?

愛情をかけて育ててきた。
一生懸命よいと思うことを子どもにしてきた。

私なりに一生懸命子育てしてきた。

なのに、なんで!?

学校に行けないってどういうことなの!?

私の子育ての何かがいけなかったの!?

学校に行けなくなった息子に、

怒鳴って、諭して、泣き落として、
学校まで引きずるように引っ張っていって

脅して、物で釣って、とありとあらゆる方法で
学校に行かせようとしました。

自分にも、周りにも
「頑張ることが正解」とその価値観を当たり前に強いてきた私は、

ここでも息子に頑張りを強要しました。

でも、私がそうやって息子を学校に行かせようと頑張れば頑張るほど、
息子の状態は目に見えて悪くなっていきました。

とうとう、息子は

「学校に行けない俺なんか、
死んだほうがマシや。」

と言うようになってしまいました。

たった7歳の子どもに、

愛する我が子に、

「死んだほうがマシ」

なんて言わせてしまったことに、

母親として、無力感と絶望感を感じました。

「これはもう、私の頑張りではどうにもならないことなんだ。」

でも、じゃあ、頑張る以外にどうしたらいいんだろう?

母親として、私に何ができるんだろう?

その答えを探しながら、
毎日学校に行かない息子と過ごす日々でした。

来る日も来る日も朝から晩まで、

家の中で笑顔が消えていつも落ち込んだ表情の息子と
過ごす時間が苦しくて苦しくて・・・。

それまでも苦しい子育てでしたが、もう限界でした。

「こんな苦しい気持ちのままじゃとても生きていけない!」

と、藁にも縋る思いで、
様々な育児法の講演会や勉強会、
心療内科の受診、カウンセリングなどを受けたりしました。

ヒプノセラピーとの出会い

「アダルトチルドレン」、「解決法」
この2つの言葉で検索したら検索に表示されたのが

『ヒプノセラピー(催眠療法)』でした。

「『催眠療法』って、なにそれ・・・。
言葉からして、怪し過ぎる・・・。

それに、過去の辛かった思い出を思い出して、
その思いを癒すって。

思い出したら辛い思いするんじゃないの?

と最初は思いました。

「でも・・・。怪しいとか、
思い出すのが辛いとか、
そんなこと言っていられないぐらい
毎日ずっと辛いんだから、
そんなインパクトがある方法の方が、
もしかしたら楽になれるんじゃないかな。
この辛さから解放されるのなら、
怪しくったって、一時、辛くたって
そんなの構わない!!
このずっと続く辛さから解放されたい!!」

そして私は初めてのヒプノセラピー(催眠療法)
のセッションを体験しました。

それまで、
どこに行っても解決できなかった
育児に対する不安やイライラ、
苦しみが、たった一度のヒプノセラピーのセッションで
嘘のように、楽に穏やかになったことに衝撃を受けました。
その変化は周りの家族もその日のうちに感じるほどの変化でした。

初めてのヒプノセラピーのセッションから帰宅した日の夜、

息子に

「お母さん、今日帰ってきてから一度も
イラッてしいへんなぁ。(大阪弁で「しない」の意味)

と言われ、次の日には夫にも、

「穏やかになったなぁ。変わったなぁ。
またヒプノセラピー受けに行ったら?」

と言われました。

私の気持ちがゆったりと
楽に穏やかになっていくのに比例して、

不登校になり、暗い表情で落ち込んでいた息子の顔に
少しずつ笑顔が戻り、穏やかな親子の時間が
家庭の中に流れるようになっていきました。

「こんなに簡単に気持ちが楽になる方法があったなんて!!」

という衝撃的な体験でした。

みんな、ヒプノセラピーで
もっと楽に幸せになれたらいいのに!!

その思いが、
私をヒプノセラピスト(催眠療法士)への道へと歩ませました。

私がヒプノセラピーによって気づき、

ママ専門のセラピストとしての活動の原点になっている思いがあります。

『全ての子どもはお母さんのことが大好き。

そして、全ての母親は我が子のことを圧倒的に愛している。』

それなのに、
子育ての時間を幸せに過ごせないとしたら、
なんてなんてもったいないことなのだろう。

かつての私のように
子育てでストレスや悩みを抱えているママ達に
「幸せに子育てができるようになるんだよ!」
と言うことをお伝えしたい。

そう思うようになっていきました。

『全ての子どもはお母さんのことが大好き。

そして、全ての母親は我が子のことを圧倒的に愛している。』

だとしたら、
ヒプノセラピーで心の奥底にある本当の思いにママ達が気づいていけば、

幸せな子育ての時間を手に入れられる。
私はそう思っています。

現在は、ヒプノセラピー、
フラワーエッセンスといった潜在意識(心の奥底の無意識の領域)に
アプローチするツールを使い、
ママが子育てのイライラ、不安を手放して、
ママとしてだけでなく、

自分自身の本来の輝きを活かして、
人生を幸せに生きていくことができるように
お手伝いをしています。

ヒプノセラピーやフラワーエッセンスで、
その人自身の本当に大切な思いに気づかれる瞬間、
そこに魂の輝きを感じます。

どんなに悩んでいても傷ついても、
そこから気づきを得て変わっていかれるクライアント様を見るたびに、
人の魂の力強さを感じ、
人の可能性を感じます。

クライアントさまの人生においての
大切な気づきの瞬間にご一緒させていただけることをとても嬉しく思います。

夢だった料理教室を始める

2016年7月
10年以上ずっと夢であった自分の子ども料理教室を開業。

お子様向けに『子ども料理教室 レアレア』を主宰しています。

お料理体験を通して、子ども達に

「ぼく、わたしじぶんでできた!」

という自信、自己肯定感を育む教室です。

お母様にはセラピーで、お子様にはお料理を通して、

幸せな子育てのお手伝いができる事が大変嬉しく日々を過ごしています。

これからもたくさんの皆様との出会いを楽しみにしています。

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